相似性 世界は単純な数式の組み合わせで構成されている。

ものづくりの街

むかし。
道を歩もけば、あんこ屋さん、大工さん、八百屋、鍛冶屋など
店で仕事をする人の手をよく見た。

最近は
街を歩いても、物をつくり仕事をする人の手をみることは、皆無。

「かまとと」
「蒲鉾は、おとと(魚)からできているの」と
知っていても知らないふりどころか

毎日食べている食材の元の形が分からない。
白身の魚が何の魚なのか、知らない。

調理する前の食材が何なのかが分からないのは
私だけなのだろうか。

ものづくりの街浜松
浜松は、ものづくりの街と言われているが
街に物をつくる人の手を見ることはない。

材料から精巧につくりあげた製品までの
物づくりの「神の手」を目の前で見ることができる
のが「ものづくりの街」=「職人の街」であるばずだ。

書家や陶芸家・人形作家・櫛職人・注染・浴衣
など多くの「ものづくりの人」手に技をもつ職人は
身近に多くおられるのに、その「神の手」をみる
場所や機会はない。

もっと多くの「神の手」が見られる工房が
町中にあってほしい。

多くの支援者支え
工房の経営がなりたつビジネスモデルを
考える必要がある。

同好会だって、活動が広く一般に公開され、目的を
自律支援や自己実現支援であり営利を目的としなければ
NPO法人として活動できる。

意外とこの活動が高齢者や退職者の第二の人生における
新しい経済活動となりえるかもしれない。

2018/05/10 OKADA

投稿者:

okadanet

一級建築士 静岡県浜松市 在住

「」への2件のフィードバック

  1. 人口減少の中若人は、額に汗せず、働かず、動くだけ、先人は長い年月休みもなく技術を習得し、物ずくりは人作り国作りに通じ、資源無い我が国は、高い技術力により繁栄をもたらし、高度経済成長期をもたらした先人の精神を学ぶべきでこれから先我が国は頭でつかちの人多く衰退の道を歩むであろう。

    1. 「学ぶべきことは」すでに外国には、なく、我々の先人に学ぶことが多くある。
      さらに、現在の社会の仕組みから、市民主導の社会仕組みである市民セクター(NPOセクター)を構築する必要があると思っています。
      okada

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