非営利組織のマネジメント
c OKADA 2014.12.03
●マネジメントとは。
P・F・ドラッカーは、言います。
「マネジメントとは何か。諸々の手法と手品の詰め合わせか。それとも、ビジネススクールで教えるように、分析道具のセットか。
もちろん、道具としてのマネジメントも重要である。体温計や解剖学が、医者にとって大切であるのと同じである。
だが、マネジメントの歴史、すなわちその成功と失敗の数々は、マネジメントとは、何にもまして、ものの考え方であることを教えている」
(『チェンジ・リーダーの条件』)
マネジメントが、ものの考え方であり、組織管理・経営に使う事ができる誰でもが、使いやすい道具ではないのです。
このことを理解しないで、スタートすると、多分、マネジメントは、理解できないものになってしまいます。
マネジメントという専門書は、書いてあることは、理解しても、なぜそこに書かれているのか、何を言わんとしているのかが、まったく分からない。
何度か読み返す内に、書かれている事と、読み手である自分の状態、知りたいという事とが、合致したとき、なるほどそう言う事かと合点がいく。
それまでは、分からないままか、分かったような気がしていただけでした。
●マネジメント
1.「科学的管理法」 (物・製品からスタートしたマネジメント)
産業革命時にマネジメントの対象となったのは、物・製品です。生産効率を上げる為に、用具の標準化・生産手順の標準化・生産時間の標準化を図り、熟練工でなくても、取り組むことができるようにした。
組織内の管理項目は、製品の品質・量産・生産工程の改善・生産量・材料在庫管理・出荷管理・生産計画・原価管理・製品開発管理など。
組織の外である市場に対しては、製品の搬送・製品の販売方法と販売エリア・テリトリーなど。
すべてが内部からの視点で開始されるマネジメント。
2.「創造的機能」 (顧客からスタート)
作れば売れるという時代には、よりコストを削減し、大量に生産・消費することで、良かった。
この時代には、如何に製品を管理し生産するかが重要。その結果、今日物があふれ、ほとんどの物が身の回りにあり本当にほしいものは、ない。
物に作り手の思いはなくなり、一律どれも同じで差がない。
加工された物は、もとの形が分からなくなり、何から誰がどのようにして作ったのかが分からない。物に価値の差がなくなった。
どの工場も生産力と技術力は高い。単純に生産効率をあげ良い製品をつくるということでは、社会の変化に対応ができず、限界にある。
付加価値を付けて、他と差別化するには、もはや既存製品の性能向上や価格では対抗できない。
我々は何のために何をすべきか、最も大切にしなければならない価値は何か。という製品からではなく、顧客のニーズや社会への貢献と使命からスタートするマネジメントは、いままでにない視点と展開をもたらした。
「顧客からスタート」というこのスタートの違いが目的とする成果を製品のコスト削減や販売量や製品の善し悪しから、新しい価値を提供し、社会のライフスタイルを変え、いかにより良い社会創造に貢献したかに変えた。
さらに、個と組織及び社会との関係、個や組織のあり方や社会のあり方を変えつつある。
●マネジメント 基本と原則
(マネジメント エッセンシャル版 P・F・ドラッカー 上田惇生 編訳)
マネジメント=管理・経営 という単純なことではない。
マネジメントのタイトルになぜ「基本と原則」とあるかが、分からなかった。
1. 組織
組織はその成果を通じて、社会に貢献する。組織の存在に価値があるのではな
く、その成果に価値がある。
組織は、社会を構成する要素である。
人が複数集まり、行動しようとするならそれは組織である。家庭もまた組織で
ある。
すべての人が何らかの組織に所属して、自らの立ち位置を獲得している。
人は、まったく他の関係を断ち一人で居るということは、できない。間接的直接的に組織に関与している。
2. 社会と個人と組織とマネジメント
個人は組織を通じて自己実現を果たす。それは、何倍にも増幅され、個々では、
考えられない成果を生む。
組織は、個人に、その貢献に報いようとして、生活の糧と社会的地位、役割、
自己実現の機会、社会貢献の機会を与える。
社会貢献をする組織に社会は、「自由と尊厳」を与える。
マネジメントは組織と個人に成果をあげさせる機関。
尊厳---自らの存在意義、大切な存在であるという自覚、他者との関わりでの人
としての意義。
自由---他者から拘束されず、自己自身の意志に従って行動し自己実現を果たす。
何をしてもよいということではなく他者の自由をも尊重する。
自由と同時にあり切り離せない責任とは、自分の判断で自分の行動を律する態度と自ら
の行動の結果を他人に起因するとしないことを意味する。
3. マネジメントの役割
A) 仕事を通じて働く人を活かす。組織は、一人ひとりの人間にとって、生計
の糧を得る場。
B) 社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。
C) 組織が使命・目的を果たせるようにする。
マーケッテイングにより、社会のニーズを検知し、価値を創造し提供すること
で社会貢献をする。社会の問題の解決に貢献する役割をもつ。
マーケッテイング---顧客の要求を理解し、販売という行為を不要にし、自然と
売れるようにすること。
イノベーション---技術や知識の発明ということではなく、新しい価値創造によ
り、大きな価値を提供し社会の行動やライフスタイルに変化をもたらすもの。
マーケッテイングとイノベーションは「顧客創造」に必要な基本機能
4.マネジメント・マネジャー
マネジメントは、明確な方向性(ミッション)と到達点のイメージ(ビジョン)をも
っています。
意思決定は、このマネジメントがもつ方向に合っているか、そして到達点への
一歩前進であるかを判断基準とします。
トップマネジメントも各部門のマネジメントも共有する使命(ビジョン)と目
的(ミッション)を判断基準とし、どの部門においても意思決定に矛盾がないよう
にします。
マネジャーとは、ミッションを明確にし、ビジョンへと方向づけし、強みを活
かして成果をあげさせ、その成果に責任をもつ仕事をする者を言う。
マネジャーの資質---ヒローやカリスマではない。
[「真摯さ」だと、P・F・ドラッカーは言います。]
マネジャーの能力---目標設定能力、体系化する能力、動機づけ・コミュニケーション能力、評価測定能力、人を育てる能力。
真摯さ---先天的資質であり、学ぶことができない資質。一貫して変わることがない正直さ、誠実さを持つ人。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。
マネジメントは、命令ではなく、それぞれの責任において役割を果たす機能で
あり権力や権威ではない。
責任と役割の組織。
マネジャーは、信頼と責任において、マネジメントする。
権威は、その行動と決断についてくるもの、あるいは、マネジャーが元々持っ
ていたものである。
権限は、マネジャーが信頼と責任において、どのように答え行動したかにより与えられる。
しかし、権威や権限でもってマネジメントするわけではない。
権威---その人の力量、周りが認める優れた人格、知識、技術を持つ者。
権限---組織が与えた他に及ぼすことができる力。
その組織外では意味をもたない力。
権力---地位と権限
5.ミッション・ビジョン
明確なミッションとビジョンが共有されていて、それを基準として、価値を判
断する。
こういう社風があれば、判断はかなり簡単に周囲の合意を得られ決断すること
ができるはずだ。
組織に理想とする建前があり、個としては、本音(自己の利害)でもって行動する
理想と建前の組織は、行動に矛盾が生じ、精神は混乱し、組織は病む。
現代人は、何らかの組織に所属し、人と関わりをもち生活している。その関わ
りを無視して生活できない。
それなのに、利他を考えず、思考の基礎を自己の利益優先におき生活する。
この矛盾が、社会が、病み、精神が混乱する原因。
ある会議でのこと。いろんな意見がでて、「なるほど、それはいいね」と発言し
たら「言いくるまれてどうするよ」と声が聞こえた。
会議は、議論闘争ではなく、どちらが優位にたつとか、主導権を得るとか、勝
利するとか、言い負かすということではない。
そのような会議において、会議に勝利したとしても、相手は、納得している訳
ではなく、次の機会には、勝利しようと考えているに過ぎない。
良いと思っても賛成の意思を示すことなく、黙っている。
会議の結果は、誰がコミットし責任を負うかも曖昧なものになる。
また、だれも支援しようとも助けようともしない。
行動に繋がらない非効率な無駄な会議が何回も繰り返される。
すべては、明確なミッションとビジョンが共有されていないことに、起因する。
誰々が正しいではなく、ビジョンを達成させるに有効であり、我々のミッショ
ンであると言わなければならない。
6.意思決定
如何に意思決定をするかは、組織の運命を左右する。
決定がどのような結果をもたらすかは、未知であり、リスクをともなう。
しかし、決定をいちいち上司の承認を得なければならないのでは、時間がかか
り、報告された時には現場の状態は、変化してしまう。
どの部門に置いても、部門で判断でき、即断できる組織にする必要がある。
即断することができる組織
A) 部門にチームマネジャーがいる。
B) ミッション・ビジョンが明確で、それを共有し重要とする社風・文化があ
る。
C) 個々の強みが活かされ、活き活きとしていて、積極的にコミットすること
ができて いる。
D) 傍観者でなく、自らのできることで、お互いをサポートし助けることがで
きるチームがある。
E) 組織は、個を一方的に粛清・無視・左遷をしないという信頼がある。
F) 組織は、貢献する者には、仕事と生活の糧を保障し、貢献に報いようとす
る。
G) 誇りに思える明確な役割があり、それを担う責任と貢献の意識が高い。
マネジメントは、考え方であり、目に見えて認識できる道具のように目には見
えません。
何か決断するとか、判断し行動しようとしたときに、マネジメントは、目に見
えて目の前にあるわけではありません。
ですから、マネジメントがどのようなものか、その基本が身についていなけれ
ば、誰でもが今までの思考方法で、物事をとらえてしまうので、マネジメント
は機能しません。
●生活習慣
糖尿病、脳卒中、心臓病、脂質異常症、高血圧、肥満など多くの病は、毎日の
生活習慣が引き金となる「生活習慣病」。
生活習慣病の予防にかかせないのが、日常の生活での良い習慣。
と同じように、
日常の思考の仕方、考え方の習慣を自己中心的なものから、自己を律し、全体
を把握し状況情報を獲得して、自らが確信し揺るがない目的への一歩として、
決断行動する習慣の蓄積が成果を生む。
日常の些細な事、些細な行動、何気ない言葉にも、その習慣から発するものは、
まったく違う意味をもつようになります。
その蓄積が成果を生むのであって、
偉大な成果は、突然にして成されるものはなく、日常の目的に向かっての一歩
の蓄積にあります。まさに、積小為大。
肥満体であるので日常の生活習慣を改善しようと、運動しようとか、どのよう
にして減量しようかと思うのですが、なかなか続けることができなく三日坊主
になってしまいますが、少しでも生活習慣を改善しようとする意識をもち努力
することが、如何に大切かを、最近身にしみて思うようになりました。
8.次のステージでの組織 「未来の組織」
どのような事であっても、突然何の関係もなく革新的なものが出現することは
ない。
すでにあり気にもかけなかった事やまったく違う分野にモデルがあったりする。
蟻や蜂の組織としての仕組み、どのようにして役割をもち営巣し、子孫をのこ
しているかは、興味深い。
■ 蟻の社会
蟻には、それぞれの役割をもつ女王蟻、働き蟻(雌)、兵隊蟻(雌)、雄蟻がいる。
女王蟻は、雄蟻か雌蟻を生むかは、産み分けができるのだそうだ。
危険な巣の外にでて、餌探しをするのは歳をとった蟻で、若い蟻は外に出ない
で、卵や幼虫の世話をする。合理的なシステムと思う。
蟻の社会でそういった分担やルールは、女王の命令(フェロモン)で、決定するの
だろうか?
女王が計画をもって、組織組み立てをしているとも思われないから、その時の
状態・温度・湿度など外的な情報の入力により、DNAプログラムにしたがって
出力しているに過ぎないのかと思う。
餌を見つけた蟻は、臭いのついた分泌物で印をつけながら巣に戻り仲間に伝える。その情報は、鼠算式に全体に伝わる。
人間のように、個の思惑や考えを交えずストレートに伝達されるから、最初と全体に伝わった情報に変化がない。
それぞれの蟻は、その情報を受けて、それぞれの役割の仕事をする。情報がな
い時には、何もしないでじっとしているのだそうだ。
だから蟻は決まった役割以外の仕事はしない。
長期計画やミッションやビジョンもない。あるのは、外から餌があるとか敵が
来たとかの情報や気温・湿度や仲間の数などの情報が入力で、その時の条件に合ったそれぞれ個の役割が正確な出力となって対処され、維持されているのかと思う。
情報を入力とし、それに対応する明確な役割での行動が出力として、この社会
を支えている。
人の社会は、「こんなことしていて、いいのだろうか」「自分だけ負担が多い」
「やりたくない」など自己の利益を考る、そもそも役割を認識していない
など、するから、このようなシステムは、さらに複雑な人の組織組み立ての参
考モデルにはならないと思うが、正確な情報伝達・情報認知とそれぞれがもつ
役割分担が重要な子孫保存システムの要であることは、理解する。
■ P・F・ドラッカー 「未来の組織」
ドラッカーは、「未来の組織は、情報を中心とする組織、つまり情報型組織であ
る。」と言っています。
(プロフェッショナルの条件 P・F・ドラッカー著 上田惇生編訳頁177〜181)
ここに書かれている事も、最初読んだ時は、さほど気にならなかった。という
より、何を言っているのかが、良く分かりませんでした。「組織とは、どのよう
なものか」ということなど、考えたこともなかったのですから。
さまざまな組織のあり方があるが、どの組織形態もうまく機能しなく難しく複
雑な社会で、どうすれば良いかが分からず鬱々とした状態に、唯一希望がもて
る未来の組織は、「情報型組織」なのだと、これを読んで確信しました。
モデルとなるのは、オーケストラ。
(プロフェショナルの条件 P・F・ドラッカー著 上田惇生編訳 P179〜P181)
情報型組織は、縦組織ではなく、権限や命令によるものでもなく、共通の情報をもち協力し合うフラットな責任に基礎を置く組織。
オーケストラの指揮者は、演奏をしない。
命令するわけでもなく。
作曲者の意図を最大限に引き出し、役割の小さな楽器をもひきたて、オーケストラの全体のできを素晴らしいものにするように演奏させ、演奏者と聴衆を一体とした感動へと導く使命と目的を持つリーダー。
演奏者は、それぞれ幼い時から訓練されたプロフェショナル。
指揮者が示す目標をもって、楽譜を理解し、プロフェショナルとして、自己を管理し最大の努力で、その期待に答えようとする。
相互理解と共通の価値観、相互信頼があって初めて現実のものとなり成果をあげることができる。情報型組織は、相互の信頼と責任に基礎を置くフラットな組織。
■ フラットな組織 (ドラッカー プロフェショナルの条件 情報と組織 P179)
■ フラットな情報型組織
マネジャー ---「ボス」ではない。「人の仕事に責任を持つ者」でもない。
組織の成果に責任を持つ者である。
専門家として組織に貢献している人である。
マネジメント ---働き方(考え方)である。すべての従業員の働き方を意味している。そ
れぞれの働き方を的確に行ったとき、組織の成果に最大の貢献をも
たらすものと考えられる。
非営利活動法人 ---社会に貢献しようとして集まったフラットな組織
トップマネージャ ---オーケストラの指揮者。 組織の明確な使命と目的(楽譜)を示し、
個々の強みを活かし、成果をあげさせ、その成果に責任を持つ者
マネージャの資質 ---信頼されていること。真摯であること。専門家であること。
スタッフ ---それぞれの部門において、自己管理し、部門での知識・技術の向上を目
指し、成果をあげることに責任をもつ。
情報型組織 ---命令による組織ではない。役割と責任の組織。お互いの信頼を基礎とする専門家組織。
ボスがいるわけではない。
相互理解と共通の価値観、相互信頼と責任に基礎を置くフラット
な組織。
●「ものの考え方である」マネジメントとは。
1.チャレンジするマネジメント。
顔が違うように、人それぞれ考え方が異なる。
同じ組織内の同僚であっても、大まかには意見があっても、基本的な発想の元になるところが立場や地位・役割などにより微妙に異なっている。むしろそれが自然。
それを理解した上で、考えの方向・道を指し示し共有することで、行動の結果である成果がどのようなものかをイメージさせ、個々の強みを活かし組織を経て成果を上げ、その努力に報いようとし、さらに組織の外である社会に新しい仕組みと価値を創造させるのが、行動をともない、無常の社会にチャレンジするマネジメント。
マネジメントは、働く人を活かし、組織が自ら設定した使命やビジョンを達成させ、社会問題の解決に貢献する。
個を活かし、チャレンジの機会を与え組織を通して自己実現を果たさせ生活の糧を与える。個は全体の為に犠牲にならない。
組織は、社会を構成し、新たな価値と社会創造にチャレンジし、社会貢献することで自由と尊厳を得る。
これは、組織のあり方をいままでにない価値のあり方と社会の仕組みを指呼する。
こういうマネジメントは、単に理想でしかないのか?
NPO法人でこのようなマネジメントが機能していることを聞いたことがない。
しかし、NPO活動の次のステージで必要とされるのは、間違いなくこのマネジメントであり、全く新しい、価値創造のチャレンジなのだ。
2.自由と尊厳を獲得するマネジメント
■ 自由度が高い 特定非営利活動促進法
NPO法(特定非営利活動促進法)では、第17条に特定非営利活動法人の業務は、「定款に特別の定めがないときは、理事の過半数をもって決する。」とあります。
NPO法を「理事会」で検索しても一行も検索に掛からない。
NPO法には、理事に関する規定はあっても、理事会に関する規定がなにもないことが分かる。
また、「社員総会」については、総会の議決事項法第14条5に「社員総会においては、第14条の4の規定により予め通知した事項についてのみ、決議をすることができる。
ただし、定款に別段の定めがあるときは、この限りでない。」とあり、社員総会での議決事項としてNPO法で規定されている事項は、「定款の変更法第25条、定款の変更・解散及び合併 法第31条」のみであり、他にない。また、法14条5に「特定非営利活動法人の業務は、定款で理事その他の役員に委任したものを除き、すべて社員総会の議決によって行う」とあります。
役員の定数として、法15条に理事3人以上監事1人以上を置かなければならないとあり、法第12条4「当該申請に係る特定非営利活動法人が10人以上の社員を有するものであること」とあります。
このことから、特定非営利活動法人は、理事3人監事1人の役員を含む社員数(正会員)が10人以上であれば、法人を設立でき、全ての意思決定を総会で議決するとして、理事会を置かなくてもよく、または、理事会主導の法人として、総会での議決事項を定款の変更、解散及び合併、事業報告及び活動決算と監事の選任解任のみとし、その他の議決事項を定款で理事会等での議決事項とすることができる。
NPO法人は、法人の設立・運営にについて、環境や成り立ち、文化、歴史、活動に基づき自由な法人設立ができる。他の団体である一般社団法人・一般財団法人・公益社団法人・公益財団法人と比べても、法人設立・運営に格段に自由度が高い。
NPO法人に対する行政の監督は、最小限に留め、「NPOは市民自らが監督し、育てていくものだ」という考えがある。行政の監督は、最小限にあり、法人設立・運営に自由度が高く、NPO法人の多様性と活動の自由を認めている。
NPO法そのものも、議員立法であり、市民が参加して制定した法律です。自由度が高い法人設立・運営ができることを市民が参加して獲得したものなのだ。
注)総会の権能
NPO法人の最高意思決定機関は総会ですから、法定の定款の変更、解散及び合併のみでなく事業報告及び活動決算と監事の選任解任は、総会の議決事項としなければならないと思います。
法人の自由度が高ければ、それに見合った自律が必要です。法人監査について、より厳格に実施され総会で報告される仕組みが必要かと思います。
■ 自由と自律
自由であるから、何の規律もなく、好き勝手に活動できるということではない。
自ら規定した定款と内部規定である総会規定や理事会規定をもうけ、法人の理念と進む方向を明確に示し、それらとNPO法を厳守することで自らを拘束する。定款は社会に公約した約束であり、自ら定めた活動のルール。
法人設立時に一部の担当が定款を定形で作成し、法人を設立してしまい、定款の内容は、形だけの説明で、誰も質問する人がなく、理事も定款の内容を理解していなく、法人の目的も共有されないで、活動がスタートしてしまうことが、あるのではと憂慮する。
コンプライアンス、マネジメントがスタート時から機能していなく、すべてが場当たり的に実施される。その都度改善されるとしても、根本となる基本が確立されていなければ、元の木阿弥、何度も失敗することになる。
NPO法人にとって、定款は、自らの組織の構成と目的を社会に示し目的達成を契約し、組織を律し、法人活動の役割に責任もつことで自由と尊厳を獲得する重要な書類。
■ 自由であるための社会的仕組み
自由であるために、NPOが自ら律する社会的な仕組みが必要です。
非営利組織は、それぞれが社会貢献の役割をもち、社会を構成しNPOセクターを成している。
NPO法人の経営にマネジメントが必要であるように、組織が集まって構成するNPOセクターに、その活動を評価し、技術・知識を提供することでサポートし、組織に自由と尊厳を与えるマネジメントの仕組みが必要です。
自己評価するということも大切であるが、他者から評価されるということで、組織や個は、自由と尊厳を獲得することができるのであって、そうでなければ自己満足・欺瞞でしかない。
市民が身の回りの社会問題を自ら解決しようとし、その活動を特定の団体がということでなく、市民が評価し表彰する社会的なマネジメントの仕組みが新しい社会を創造する。
非営利活動をする組織の弱みは、資源獲得の手段に弱いというところにある。
対価を直接受益者からいただこうとしない経営は、営利活動をする企業より難しい。
市民によるNPO活動を評価・表彰し、資源獲得のサポートとマネジメントができる社会的な仕組みを構築することが、何より急務である。現状のままであれば、NPO法人の活動は、自由がない小規模な運営にとどまる。
NPO法人は、法第29条所轄庁に事業報告等を提出しなければならい。とあり、法第30条には、所轄庁は事業報告書等閲覧又は謄写の請求があったときは、都道府県又は指定都市の条例で定めるところにより、これを閲覧させ、又は謄写させなければならない。とあります。
現状では、NPO法人の情報公開は、所轄庁を通して公開されるのが一般的であって、NPO法人自ら公開している法人は少ない、また一般市民から法人の活動を評価・表彰する仕組みはない。
これでは、せっかく獲得した自由は、自由でなくなる。
自由は自らを律するところに存在する。
3.マネジメント 自己相似性
最近報道されるNPO法人の不祥事、これらの活動を未然に見抜き、誰も支援しなければ、そのような法人は自然淘汰される。
活動が悪いということを指摘するのでなく、良い活動を適切に評価し支援者に広報することで、法人は支援され、存続することができる。
社会は、自律し成果を上げる組織に自由と尊厳を与える。
組織は、個の強みを活かし組織を通して社会貢献させることで、個に自由と尊厳を与える。
自由な個が、多様性と柔軟性をもつ社会を構成する。
個と組織と社会の構造は、そのような相似性(フラクタル)をもつ。自然のあらゆるものは、そういう単純な自己相似性もつ。
全てに通じる無理がなく美しいと感じる形はそういうものではないかと思うのです。
個の可能性は、組織の可能性であり、社会の可能性である。個の可能性は、全体を含み、成して終わりということがない無限の機会とチャレンジと可能性を含むのです。
自己相似性
個は全体と同じであり、あらゆるものを内蔵し、無限の可能性をもつ。
「できない」「だめだ」と思うネガティブ思考は、単なる思い込みにすぎない。
4.マネジメントはトップだけのものではない。
どのような成り立ちの組織であっても、社会貢献という目的を達成できる組織であればNPO組織のあり方は、こうでなければならないという形式や方法があるわけではない。
■ 独裁組織
独裁組織であっても、目的に魅力があり共有され、組織が向かう方向を明確に示すことができ、成果が表れ目的達成の意義が実感できれば、そんなリーダーの無理難題な要求に従う人もいる。
「私に報告なく勝手にやるな。勝手にやる者は、即排除する。」と言うようなリーダーであっても、その事業が、その時に人気があり、行政支援があり地域で盛大に行われていて、次々に参加したいという人がおるような状態ならば、即決即断で意思決断ができ、効率的で良いし、決断が良くも悪くもないものであっても、事業に勢いがあれば、不思議なことにそんなリーダーを支えるプレーンがいて、それなりの成果をあげたりする。
また、支えるブレーンがいなければ、機能しないのであり、リーダーのみではない。
事業そのものに魅力があったから成果を上げることができるが、事業が衰退するか資金が尽き、事業に勢いがなくなってくると、消滅するか、名前だけの休眠組織になってしまう。
独裁組織のリーダーは、支配するリーダーであってマネジメントとは程遠い。マネジメントは支配することではない。
トップリーダへ集まる情報は、都合が良い情報は直接集まるが都合が悪い情報は、陰口として集まる。
こういうリーダーは、誰も信用していないのだが、なぜか陰口は、信用する。
それは、マネジメントであり得ない。
ブレーンによるマネジメントも順調な時は、良いのだが、うまくいかなくなると、ブレーンを信用していないリーダーであることを知っているから、一気にモチベーションが下がり全てが無気力になり惰性的で生産性がなくなる。独裁的なリーダーでさえも、ブレーンが居なくてはなにもできない。
■ 一人ではない
一人でこつこつ腕に磨きをかけ、大成した陶芸家、画家、書家などであっても、まったく一人で、成すということは、まずあり得ない。
不遇な時に、生活を支え、その手順や方法を教えた者がいる。また、他からの評価と支えがあって社会から本物であることを認知されるのであって、一人では、できない。
個の強みを活かしてサポートし自己実現を果たさせるのは、マネジメントである。
そういうマネジメントがあったからこそ、やることができたのだ。
■ リーダーの目
「何か問題はないかね」と、現場に来るたびに質問する。そう言われて、自分がした仕事の不具合を報告する人がいるだろうか?
告げ口には、恣意的な感情や、誇張がともないそのまま信じるには、値しない。
このリーダーにとっての情報収集は、その程度しかない。
問題が発生したその時でまだ問題が隠れていない時期に素早く発見し、適切な処理をすれば、全体に支障が及ばす早期に問題が収束するし、対処もしやすい。
この時点では問題は隠れず現れているのだから発見しやすい。それでも問題に気がつかないで、進行してしまうとか、気がついても躊躇していて対策しないでいれば、その問題を解決するのに、問題があった欠陥の上に作られた何の不具合のないものまでを取り除かなければ、深部にある欠陥を改善できなくなり、取り返しがつかない状態となってしまう。
欠陥が深いところにあり全てをやり直さなければならないこともある。
問題は、早期に発見し、早急に対策しなければならない。問題の報告を待っているのでは、手遅れになる。リーダーは、全体の状況を把握していて、現場での不具合は、一見して見抜く力と、即改善する勇気がなければならない。
鳥瞰的な視野と、「我々は何をしようとしているか」の目的を常に念頭におき、瞬時の判断ができなければならない。
しかし、全て万能である人は、いない。一人の人に入ってくる真の情報は、少ない。全てを見通せる視野をもつことも、たやすくできることではない。これを解決するのが、チームマネジメント。
異なる強みと視野をもつ者複数でマネジメントを分担する。トップは、それらを総合判断して、マネジメントをする。
マネジメントは、トップマネジメントのみでなく、各部門においてもマネジメントが機能しなければならない。各部門に全体と全体のどこに位置するかを見る目をもつマネジャーがおり、マネジメントが機能していなければ、情報が遅延したり途切れたり、情報そのものが発信されない。
5.フラットな組織のマネジメント
■ フラットな組織
一般的に組織図を書くときは、上に最高決定機関あるいは、最高責任者を置き、命令系統ごとに下へ部署を置く階層型組織図が描かれるのが普通。
部署と部署を繋ぐ、命令系統を示す線は垂直線で上から下に繋げる。繋がりが複数あれば、その垂直線を水平線で繋げ束ねてから上の部署と繋ぐのが一般的である。
対等な部会を複数置き、部会と部会が情報を交換しあい相互に支援しながら活動するという意味で、それぞれの部会を直接水平線で繋げた組織図を作成した。これを見て「この水平線は何か?このような組織図はありえない。作り直せ。」と言われた。
NPO法人設立には、社会問題に取り組もうとする有志があつまり役員を構成する。もともと、NPO法人の理事は、全員が法人の代表権をもち、その議決権は平等で対等である。
株式会社のように持ち株で議決権に差があるということはない。
NPO法人の組織は、各事業部は、対等で、上下の関係がなく、相互に連携して活動する組織となるのではないでしょうか?
縦組織ではないフラットな組織は、従来の組織図では、表現が難しい。
つまり、どのようなものかが、まだ社会に認知されていない新しい組織形態なのだ。
認知され共有されていないものを説明するのは、難しく、困難をともなう。
■ 役割と責任
法人の設立は、志を同じくする者に声かけし、参加を呼び掛ける。集まった者は、さまざまな経験と知識をもち、他の団体の役員であるというような背景をもっている。
設立時の経緯や状態・人事がどのようであったかにより、法人の性格や意思決定の仕組みなどが、その時にすでに定款より先に暗黙のうちに出来上がっている。これは、後に議論で変わるようなことがない力として、後々まで、大きな影響力で法人経営に作用する。後になって変えようとすると、かなりの抵抗を受け難しい。
非営利組織の人事は、難しい。
理事は全員が対等で平等であるから、理事長・副理事長・常務理事・事務局長などの役職は、権威や権限の上下ではなく、それぞれが果たさなければならない役割と責任を表す職名となる。だから、役職への任命は、役割を実行することができる強みや経験・知識とくに信頼から選任されるべきで、役員全員に何らかの役割を分担させ、コミットできる組織環境とすべきだと思う。
組織の成功は、適切な役割分担と情熱と行動でもって、コミットする役員が居て、それを支えるブレーンと支援者が居るか否かに掛かっている。
組織マネジメントは、相互に支援できて、担当者が責任を持って働くことができる、そういった環境を構築できるかが重要になる。
6.コミュニケーションの成立
議論をする。相手を言い負かす。論争をする。などは、徒労であり無駄な努力でしかない。
議論で勝っても相手には、本当に大切なところが、伝わっていて納得したわけでなく、次の機会には、勝つことを考えるにすぎない。
こちらの伝えなければならない事は、相手が聞く準備が整っていなければ、伝わることはない。準備ができ心のドアが開くまで、それまでひたすら聞く側になり、相手の状態、要求が何なのかを観察しなければならない。相手の要求から話せば、相手は理解する。それからがコミュニケーションのスタート。
ITに詳しいスタッフが、画像処理ソフトの使い方や解像度とか画像の縮小拡大について、説明した。
IT関係の専門用語は特にそうだと思うがやたらとカタカナで表記する横文字が多い。
説明の最初から最後まで、英単語の羅列で、まったく何を話しているのか理解できなかった。その知識には、すごいと思うし、その人の実際の画像作品等はすばらしものだった。だから理解しようと努力したが、分からないままであった。
IT技術に限らず、専門用語で説明されるものは多くある。専門用語は、その語句に読んだ発音のみでなく、一つの概念・考え方を表しているから、単語のみ知っていても、その単語が表すものを知らなければ、まったく理解できない。話しては、聞き手がどの程度その知識があるかが分からなければ、そういった単語は使用しないで、話さなければ、相手に伝わらない。
相手を見て相手の言葉で話さなければ、決して通じないのだ。
人は、それぞれが、その人なりの物の見方や考え方をもっている。さらに、その人の立場・地位や背景・所属団体なども考え方に影響する。
基本的に最初から自分と見方考え方が同じであるということは、ありえない。
相手を理解し、なぜそうなのかを知ることが、コミュニケーションのスタートなのだ。
感動という体験を共有することが、そのプロセスを含む全体の理解に繋がり、設定した使命と目的が意味する物を明確にする。言葉の意味と行動とを結びつける。
コミュニケーションと行動体験の積み重ねが、組織の価値を高め文化を創る。
コミュニケーションから行動体験へと繋がって初めて真のコミュニケーションが成立するのだ。
体験し感動を共有することが、最もよく双方が分かりあえる。
■ 「和を以て貴しとなす」
「わをもってとうとしとなす」聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉。
これは、コミュニケーションの極意。また現代に継承されている日本の文化だと思う。
「和」とは、皆と同じであるようにするとか、自分の意見を言わず大勢に従うとかでは、ないのであって、
相手に逆らって、言い争うとか言い負かす、言い含める、強引に自説を通す、というような事をしないということ。
言い争う論争をするということでなく、相手の言い分を聞き、なぜそうなのかを考え相手の真意を察し、極端な判断をしないで、自らの目的とを擦り合わせして、合意を図ること。
これは、相手に逆らうということではなく、相手に近づき、真の要求が何であるかを考え、相手を思うこと。
相手を敵と見るのではなく、争うことなく、差別なく自らとは違うものを覆い包み込む寛容な精神。
協働、共存、共助は、そういう精神なくて、成果を成さない。
さらに、十条には、人はそれぞれ違った思いがあり、人と自分が違うことは、極自然な事だ。違うからといって怒ることのないように。いつも自分が正しいということもないのだから。と言っている。
また、そのように、意見の違いがあるということだから、何事も一人で判断することなく、必ず皆とよく話し合うことが大切だ。といっている。
■ 「和して同せず」
「仲良くするが、意見は違う」という意味では、ないと思う。
相手と違うからといって相手を中傷したり、非難したりするということをせず、心を開いて、意見を聞き、
相手の存在を尊重し、争うことなく、相手の立場言い分を考え解決策をたてるが、
利己でなく自らが確信している事、貢献の使命目的に沿わない事には、安易に妥協したり、協調したりせず、誠意をもって説明し、凛とした態度で対応する姿勢。
[君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず]「論語・子路」が出典だそうだ。
君子は誰とでも調和するものだが、道理や信念を忘れてまで人に合わせるようなことはしないということ。
意見が異なること、利害が相反することがあれば、和することはできないはずで、
「仲良くするが、意見は違う」と言うような、本音と建前では、精神が安定せず、良い結果とはならない。
元々相手と相違があるのは、必然。その距離を埋めようとする努力がなければ、争いを生む。
相手を思い真意を理解することで、解決策を考える双方理解の歩み寄りが「和」を生む。
双方理解の歩み寄りがなければ、「和」は生まれない。
■ 日本
日本的な考え方というのは、西洋とも大陸の中国・韓国さらに米国とも違うようだ。
浅学な私には、その違いを述べることは、難しいのですが、最近特にそう思いま
す。
確固な個の確立からスタートして、全てを理解しようとする考え方と、個である自分も含めて鳥瞰的に俯瞰した見方からスタートするのでは、同じ物を見ていてもかなり異なってくる。
むしろ、まったく異なった世界を見ているといっても良いと思う。
大陸でのように、何度もの侵略に合い、文化・歴史までも奪われてしまい、負けてしまえば民族が入れ替わってしまうような環境では、自己の要求を明確に主張し妥協しないのが勝利であり、相手の主張に納得や妥協するとか、譲れば、負けで、全てを失う。
そうであれば、妥協しない、譲らない、納得しないということが思考の基礎と
なるのは必然なのだろう。
本心納得できても絶対に言葉にしないのだ。
相手に弱みがあれば、論旨となんの関係もなくても、徹底的に追及し追い込む戦略にもなる。相手に勝ということに価値がある。
個とその周りの世界との葛藤、それらを調整・論理づけ絶対的なものとして定義する思考は、それらを思考する個が世界よりも優れているという立場からスタートする。
「和を以て貴しとなす」とし、「争うことなかれ」としたことは、世界的に見るとかなり特異な思考なのかと思う。争いをさけ、勝ち負けではなく、曖昧であっても調和・平和と寛容に価値を置く。
元々世界は、混沌であり、人知では、とらえようのないものだからというところからスタートする。たぶん、世界に同様な思考法はないのではと思う。
和を以て貴しとするには、鳥瞰的に俯瞰した見方で、全体を把握する必要があり、俯瞰した見方で、全体から自己をみるので、自己より全体の方がはるかに大きくみえます。
ですから危機に合った時には、自己より全体の調和が優先され、自己のできることで全体に貢献しようとする思考方法かと思う。
特に自己犠牲から貢献するという発想ではなく、俯瞰した情報から最善であると自然と判断するものであり、1000年の文化なのだと思う。
最近、高齢者の孤独死や餓死まである社会状況、個々がばらばらで繋がりが希薄な社会、子どもへの虐待、奇異な事件など、どうもおかしい。
新聞やテレビの中の事で関係ないと思っていたが、そうでなく身近に影響が及んできた。
社会が病んでいる。日本の文化が汚染されて病んでいるのが原因に違いない。
日本特有の考え方、文化を取り戻さなければならない。
7. 震災 未曾有の自然の脅威、津波が奪うことができなかったもの。
2011年3月11日東日本大震災。この震災後、震災前とは、生活や価値観が変わったと言う人が多くいる。
何もかしこも、無くなってしまって、住む家もない状態、大きな生活の変化を虐げ
られている。
特に、価値観の変化は、被災地の人々だけでなく、日本中の価値観を変えた。
■ 世界が称賛
震災時被災者の冷静な対応などが世界中から称賛された。
略奪がおきず我慢強く列をつくって待つ姿や「自分は大丈夫だから。他の人を」ということなどが、外国から見れば、あり得ない事、驚きの出来事なのだろう。
震災前までは、ちょっと気に入らなければキレル若者や自分さえよければ、という風潮は強かったが、震災後は、被災地のみでなく日本中が、変わり、他を思いやる心日常のなにげない事の大切さや、絆のつながりを大切にと言う人が増えた。
そういう気質は、突然に現れたのではなく、もともとDNAに持っていたものであり、津波がそれらに覆いかぶさっていたものを洗い流したから、表にでてきたにすぎない。
日本人の気質は、3年や5年で、きづかれたものではなく、1000年以上の文化なのだから、自然の逆らう事ができない猛威でもってさえ奪うことができなかったのだ。
未曾有の災いではあったが、この気づきから、新生日本を構築しなければならない。
まさに、今がその時であり、今成さなければ取り返しがつかなくなるように思える。
8.そして未来へ
■ 我々の事は、我々で解決
公共のサービスは、行政がやることと思っていた。しかし、市民は要求するか提言するなどをすれば、なんとかなった時代ではなくなった。
NPO法が施行されて十数年NPO法人も増え、行政に変わって公共サービスを担うようになってきた。
我々の身の回りで、できることは、我々でやる。それが可能ならば、選挙で議員を選ぶという選択肢に新たな選択肢が増えるわけだ。
それを可能にするには、自立したNPO法人が、それぞれの得意とする分野で役割をもち活動できるように、専門知識や資源獲得の支援をする社会的な仕組みが必要であり、自立したNPOセクターを構築することを必要とする。
◆NPOセクター
社会の仕組みとしてのNPO支援仕組み
1.NPOセクターを代表する支援センター
NPO法人のほとんどが会員として登録されている。
NPOを代表して、企業・行政セクターと協働事業・協定や提言。
2.クラウドファンディング(市民ファンディング)
NPO活動の資源獲得の仕組み。
銀行を介さない資金提供。
非営利活動の評価と表彰。
支援者が選択できる支援先情報提供とNPO法人の評価方法の確立。
支援者と活動団体等の仲介。コミニュケーション、情報伝達支援。
一般広告が入らないサバ―経営。情報セキュリティ向上。
3.知識、技術、ノウハウの開発研究と知識流通
主婦、高齢者等に知識、技術、ノウハウを提供し、第2のライフスタイルを支援。
NPO活動団体等への専門家派遣支援---生活の糧を得る。
すべての人にチャレンジの機会を提供。
マネジメント・ドラッカー
経済関係の書籍を読んだこともなく、学んだこともない私が、マネジメントにであったのは、「もしドラ」からでした。ですからマネジメントについて、正確に書くことなどできないのですが、直感的に、このマネジメントの考え方が、必ず社会に大きな影響力をもつようになるだろうと思っています。
マネジメントはP・F・ドラッカーの発明なのですが、米国においては、科学的管理方法の経済学に人気があり、このマネジメントでは、大学において単位が取得できないと、ネットニュースにありました。
マネジメントは、論理的な概念の積み重ねで計算できるものというより、数多くの組織観察から考察されたもので、かなり情緒的であると感じます。しかし、論理的でないとうことでなく、無形の組織について、その時々における組織の状態にどのように対応すべきかが、事例とともに明確に書かれています。
専門書は、読んでも書いてあることは、分かっても何を示し言わんとしているかがなかなか理解できません。「もしドラ」は、高校野球のドラマですが、マネジメントを翻訳し、チームの成長に合わせたマネジメントが書かれています。もし、これに出会わなかったら、ドラッカーに合うこともなく、マネジメントも理解できなかったかと思います。
P・F・ドラッカーは、とても親日家だそうで、「イノベーションの戦略は、既存のものはすべて市場において陳腐化することを前提とする。」など日本的な思考がマネジメントにあるように思います。それが、「もしドラ」に共感をよびヒットさせたのかもしれません。
今日現実のさまざまな身の回りにおける問題を解決させるのは、行政でも企業でもなく、公共のサービスを担うようになったNPO以外にないと思う。
まだ力不足なNPOの活動に、知識・技術などの資源を流通させより高度な専門性をもち、社会貢献へ役割をもつように、NPOが支援される社会的な仕組みが構築され、NPO活動に、マネジメントが取り入れられることになれば、必ず今以上に社会に貢献でき新しい価値とライフスタイルを生むに違いないと思っています。
踊り場にあるNPO活動への切り札となるはずです。
平成28年1月4日 岡田哲志
Mail: tokada@bz03.plala.or.jp